鉄血のオルフェンズ最終話が始まる前に書き残しておきたかった所感

鉄血のオルフェンズは奇妙な作品だ。

ガンダムAGEから4年。ユニコーン以降上の世代に対しては盤石に近い体勢を築けたものの、下の世代の取り込みが上手く行かず動きにくくなっているマザーシップタイトルに対し、プロデューサーが『子供達のドラマが描きたい』と言って持ち出してきたのが長井龍雪監督と岡田麿里構成だった。

その結果が企業にとってどうだったのかは知らない。
視聴率が悪いとか、円盤がいまいちとか、プラモは悪くないとか、そういったものは耳に紛れてくるが、それ自体は一視聴者であるぼくにとっては関係のない事だ。
重要なのは、作品に何がもたらされたかだ。

鉄血のオルフェンズは奇妙な作品だ。
本作で使用されたシナリオ進行は、2015~6年現在における鉄則を大きく外している。
そしてそれは、ガンダムというブランド内においても極めて特殊な構成だ。

ゆったりとした進行と重視されないロボット

鉄血のオルフェンズは話が進まない。
テイワズ編(7~9話)の時点で、本作が単独2クール作品でない事は明らかだった。
戦いが終わった後、盃を交わすことを決めるのに1話。盃を交わすこと自体にまた1話。
内容的には1話に詰められることを3話掛けてやっている。
その進行ペースは4クールアニメのそれだ。
しかも、通常4クールアニメでは複数配置されるボトムショー(一話完結の本筋に影響のない話)が今作には存在しない。
本筋だけを追っているのに、その本筋が進行しないのだ。 

結局『宇宙の植民地から始まり地球を目指す』というファーストガンダムが5話で消化したプロットを用いながら、地球に降りるまで19話掛けた。
同じくファーストの枠組みを使ったSEEDでも13話。
一応2クールと銘打って作られた作品で、ここまで話をゆっくりやっている作品は他に見たことがない。


そしてそれだけの時間を掛けて積み重ねたのは、機械の戦闘ではなく、生身のキャラクターの反応。判断。そういった物語だ。
必然的にロボットが戦う回数は激減する。
本作はおもちゃ販促を主体とする大規模ロボットアニメでありながら、その本職の部分があまりに少ない。
つまり本作はロボットを資金源とした作品でありながら、ロボット自体をアニメ―ションの主軸にしていない。
この構成をバンダイが許したという一点だけでも、本作は非常に特殊な作品だと言えるだろう。
なにせその結果、もう一つの縛りである『おもちゃで出す新型は必ず一度は活躍させる』という鉄則すら戦闘話数の少なさから反故にされているのだから。

これでおもちゃを売ることが出来たなら、また新しい作品と商品の関係が築けるかもしれない。
そういう点では、期待するものがある。

苦戦しない子供達と殺人を負う主人公

本作の主役は子供達だ。
実権を持つ大人達に虐げられ消耗品の道具として使われてきた彼らは、一つの転機と共にその立場から脱却して鉄華団を名乗り、自らの意志を通して生きる道を選ぶ。
それは虐げる者達への反逆であり、大人との戦いの始まりだ。

本来ならば、辛酸を舐める茨の道となるはずのそれに、彼らは容易く勝利し続ける。
人類の守護者たるギャラルホルンは平和惚けした無脳の集団であり、海賊どももより強大なマフィアに組した彼らには恐れる存在ではなく、阿頼耶識を埋め込んだ人非人の少年達を上回るものは宇宙に存在しない。
彼らは勝利する。総体から見れば大した犠牲もなく、不気味なまでに、奇跡のように。
ヒーローの属性を持たぬ下層の子供達が上層の大人たちを容易く組み伏せ続ける。

それは少年物の物語構造としては余りにもいびつな形だ。
まるで、その清算の日がすでに定まっているかのように。


そして彼らが勝利し続ける以上、彼らは人を殺し続けることとなる。
けれども、本作は彼らが明確に誰かを殺す描写を意図的に避けている。

それはもちろん日曜17時という時間帯への配慮ではなく、その最も価値ある描写を、最も価値あるキャラクターに集約するためだ。

本作では主人公の三日月・オーガスのみが殺人の権利を持つ。
あるいは権利ではなく、義務と言うべきかもしれない。

本作の物語の大半は三日月の殺人によってもたらされる。
彼の殺人は終わりではなく始まりとなる。そうなるようにこの物語は作られている。
だから三日月は殺す。オルガの代わりに殺す。仲間のために殺す。自分のために殺す。
彼の殺人により二人の主役の関係が始まり、彼の殺人により子供達は戻る道を捨て、彼の殺人により求める未来は切り開かれる。
そうして三日月は罪を負う。オルガの代わりに。仲間のために。自分のために。
その結果物語の罪は集約される。死を命ずる罪はオルガに。そして死をもたらす罪は三日月に。

「殺人を楽しんでいる」という糾弾に対し「こいつは殺してもいい奴だから」と思考を止める彼は、自らを麻痺させることによって己の心を保つ。
その後のキスまで含め、三日月の精神は彼の周囲の者が思う以上に、そして本人が思う以上に崩壊しかけている。
それでも彼は殺人をやめない。やめられるわけがない。
物語の機械となった彼は、いずれ殺してはいけない人をも殺す日が来るだろう。
その時、罰が始まるのだ。


行く先の見えない展開は誰を殺すか

鉄血のオルフェンズは話の筋が見えない。
鉄華団は立った。彼らは地球を目指す。それはいい。
しかし独立したかと思えばマフィアの舎弟になり、コロニーの反乱に巻き込まれたかと思えば本当に巻き込まれただけの傍観者に終わり、そもそも地球に行く理由であるクーデリアの目的もどの程度の意味合いがあるのか分かりにくく、立ちはだかる敵はみんなザコ。
要するに、物語がどこに行く気なのかがこちらに想像が付かないようにしている。

正直、視聴率が取れなかった最大の理由はこれだと思う。
『何が起きるか分からない』と『何をする気か分からない』には大きな隔たりがある。
同脚本家作品の『凪のあすから』が、何をする気かが分かる13話までに大量の脱落者を出したのと同じ構図だ。

苛烈な娯楽競争社会の現代は、かつてと比較して『予測のつかない作品』は避けられる傾向にある。
その作品が自分に何を与えてくれるのか保証してくれないと消費できないという状態だ。
だから、例えば映画の予告編はストーリーをほぼ全開示するかの如くネタバレしまくるようになった。

古い思考の者(自分も含む)からすれば寒い時代になったと感じる面もあるが、消費出来る物、消費したい物の全てを消費するには時間が足りなすぎる時代に合って、それは当然の流れだ。
だからこそ、アニメのIPのなかでももっとも外せないタイトルである本作で、このハイリスクな構成が取られたことに驚くものがある。


話の行く先が見えないということは、物語のあるべき進行方向が存在しないということだ。
ストーリーという糸がどこに向かう気なのかが分からない。
それは同時に、劇中で何が起きようと、ストーリーはそれを許容しうるという事だ。
その構図には当然意図があり、最たるものが物語が持つキャラクターの生殺与奪権だ。

本作は死に満ちた作品だ。
子供達は死ぬまで自由を得られぬ奴隷であり、1クール目の総括のタイミングで葬式を行い、主人公は殺人で物語を回す。
死の価値を高めることで命というテーマを追う構図だ。
そのため、物語はどれだけ死を活用できるかが鍵となる。

そしてその一点に於いて本作の展開は抜きんでた効果を発揮している。
本作は意図的に、細心の注意を払い、『誰を殺しても良いように』物語が組まれている。
これほど誰が死んでも許容できるシナリオ構造をしている作品はほとんど見たことがない。

本作には、替えの効かないキャラがほとんどいない。だから誰が死んでも成立するし、誰が生き残っても成立する。その象徴が21話だ。
その死は意外だった。彼にはストッパーとしての立場と最終的な語り部になりうる立場、現在と未来で二つの役割が提示されていたからだ。

しかし見えない物語の糸の先がストッパーを必要としないならば、彼の現在の役割は必要とされなくなる。
そして未来の役割は、本作の登場人物のほぼ全員が果たしうるものなので、始めからなんの意味もない。

そう。本作は基本的に子供しか出てこない。ゆえに語り部はだれがなっても構わない。語り部になりうることが生存フラグとして成立しないのだ。
逆に子供しかいないことで、ただ一人の年配である整備士が後の語り部となりうる可能性すらある。
その場合は、子供が一人残らず死に絶えたとしても成立する。

それを行うか、はともかく。本作は全てのキャラクターを殺せる構図を持っている。
三日月でさえ、クーデリアでさえ、殺してもストーリーを継続することが可能になっている。
本作に置いて、登場人物に安息の時はないのだ。


一度目の結末はどこに落ちるか

19話終了時点で一度物語を見つめなおし、本作の一度目の最終話がどこに行きつくかを考えた。
子供が勝利し続ける構造は、最後の一回の敗北を徹底的に描写するためと考えるのが妥当だろう。ならば大人が勝ち、鉄華団は一度崩壊する。
そして何よりも行われるべきは主人公である三日月の崩壊だ。
そのためには彼に殺してはいけない相手を殺させる必要がある。
その最良の相手といえば、やはりクーデリアしかあるまい。
クーデリアは殺せる条件が整いすぎているのだ。

  • 目的が強すぎる

彼女が成そうとしていることは成功すると物語の存続が危うい。
ゆえに第一部でその目的が達せられることはなく、そのためには達せられない理由を引き起こさねばならない。
例えば死ぬとか。

  • 先に殺す必要のあるキャラがいない

キャラクターは関係性的に先にこっち殺さないと殺せないという場合があるが、その相手がいない。
というか既に。

  • 三日月と既にキスしている

キスは少年物における男女関係の頂点であり、これを行ったペアを片方殺すのはセオリーの一種。

周囲も自分も己を聖女と重ね合わせているなら、その結末も同じく非業のものとなるのがセオリーの一種。

  • OPの死人の配置

OPに出ていながらその後死んだキャラは二人(24話前)
片方はOP中ほどで背向け、もう片方はOPイントロで正面。
表情的にも配置的にも最後に死ぬのがOPラストに笑顔のキャラなのは配置としての美しさを持つ。



最後のはこじつけだが、とにかくクーデリアは筆頭ヒロインでありながら殺すための理由づけが整いすぎているのだ。
というか、筆頭ヒロインであるという一点以外、生存フラグがない。

無論、道中のヒロイン殺しは基本的にはウルトラハイリスクのご法度である。
しかし、本作の先の見えない展開自体がそもそものハイリスクであり、その手法を用いてまで行いたかった結末を考えると、これは十分に行われうる結末ではないかと思う。
ていうかもし当たってた時ドヤ顔したいためだけにこの記事はある。



他にもマクギリスは登場当初は鉄華団目線で大人サイドとして描かれていたが、仮面を被って以降は本人目線で描かれる場面の方が多くなり、父親との関係性を浮き彫りにすることで実は子供サイドであることが明かされているとか興味深い要素は多々あるが、ひとまずは最終回前に書き残しておきたいことは終わった。

1話のラストを意図的にトレースした24話のラスト。
悪魔の名を持つ機械を駆る少年は子供達に1話と同じ希望をもたらすか、あるいは真逆の結末を迎えるか。
2時間後には、その答えが明らかになる。


追記

清々しいほどの外れっぷりに全米が泣いた